2023/11/07 16:11

『THE FOOLS MR.ロックンロール・フリーダム』伊藤耕の死亡を巡る国家賠償請求訴訟の和解に関する追記


志田歩

 フールズのヴォーカリスト、伊藤耕の月形刑務所での死亡に関する責任を問う裁判は、2023年2月7日に国が全面的に責任を認める形で和解になりました。拙著『THE FOOLS MR.ロックンロール・フリーダム』の第3章では、この裁判がどのような困難を乗り越えて提訴に至るまでのプロセスを、原告や弁護士に取材して詳述しています。
 なおこの裁判の焦点について取材を進めるにつれ、入管における人権問題とリンクすることが予想できたため、2005年に入管問題をテーマに行われたイヴェント「虹の架け橋キャンペーン パートⅡ」についても、あえて同書第2章で文字数を費やすことにしました。
 しかし書籍が出版された2022年12月は、裁判はまだ進行中だったため、書籍の中で裁判の結果には触れていません。ただしこの和解は、報道により広く伝えられることとなり、著者自身も「MUSIC MAGAZINE」2023年5月号に記者会見のレポート記事を寄稿しています。
 ここでは以上の経過を踏まえ、『THE FOOLS MR.ロックンロール・フリーダム』P407の記述に続くべき部分のテキストを、以下に公開させていただきます。
(2023年7月8日)


 伊藤耕の死を巡る国家賠償請求訴訟は、2023年2月7日の東京地方裁判所で、国が全面的に責任を認め、ほぼ満額の4300万円の賠償金を払う和解で決着した。提訴した時と同じく、和解直後に霞が関の司法記者クラブで記者会見も行なわれたが、原告の満寿子による「この和解の意義を広く知らせたい」という強い希望により、改めて3月27日にもDOMMUNEで、ドキュメント映画「THE FOOLS 愚か者たちの歌」の高橋慎一監督が司会を務める形で、満寿子、島昭宏弁護士と加城千波弁護士の三人が記者会見を行った。
 この場での報告のうち、耕が亡くなった後に伝えられた重要な情報が二転三転したため、満寿子が刑務所の対応に疑念を抱き、死因を突き止めようという気持ちになっていったこと、そして彼女が懸命な努力の末に耕の死因を究明する機関を見つけ、葬儀から三週間後に遺体の解剖へと至った経緯などは、第3章に詳述した通りである。

 だがそれほどの労力を費やして死因がイレウスであったことを突き止め、早めに的確な処置を施せば、耕の命を救えたことが明らかになったにもかかわらず、被告側は裁判の進行中に「解剖した遺体が本当に耕の遺体かどうかわからない」などと述べ、原告側を憤慨させたという。
 ちなみに本書でこのような裁判の様子を記述するのが可能なのは、今回の和解の条件に口外禁止条項が入っていないためで、その意義の大きさは特記に値する。
 この背景には原告側が、裁判を通じて刑務所の中で行われていたことを、世の中に広く知ってもらうことが大事だと考え、和解が提案された際に口外禁止条項を拒否する意思を伝え、被告側がそれを検討した末、条件に応じたという経緯がある。
 この和解に至るプロセスで最も決定的な意味を持つことになった証拠は、耕の体調が悪化してから亡くなるまでの約30時間に刑務所内の房内監視カメラが記録した映像だった。被告側は最初は映像の存在すら認めようとせず、その存在を認めた後も刑務官のプライバシーや防犯を口実に提出を渋っていたという。結局原告たちは法務局に出向いてこの映像を確認し、満寿子はその内容を細かくメモに書き起こして、それも証拠として裁判所に提出している。
 記者会見の場で島弁護士はこの映像について「明らかに体調に異常をきたした人がいるのに本気で助けようとする者がいないことがよくわかる衝撃的な内容。これを見れば刑務所の中でどんなことが起きていたのかがすぐにわかるはず」と述べている。
 しかしこの映像の扱いには、「裁判の証拠としてのみ使う」「外には出さない」といった制限がつけられ、原告たちもそれに従う旨の誓約書を書かされている。そのため口外禁止条項はないものの、外部の人がこの映像を見ることはできないのが現状だ。

 筆者は記者会見における質疑応答の際に「こうした誓約に違反した事例の有無」を質問したが、加城弁護士の応答は、「違反したら同様のケースで、証拠として提出するのを拒む口実にされてしまうのではないか」というものだった。この時期、この種の監視カメラの映像が手がかりとなる裁判でのやりとりとしては、21年に名古屋の入管でスリランカ人女性のウィシュマ・サンダマリさんが亡くなった事件の国家賠償請求訴訟で問題になっており、23年2月に名古屋地裁が法廷での画像の公開を決めたことが伝えられたばかりだった。
 DOMMUNEでの記者会見に先立つ3月15日、島弁護士はロック・バンド、THE JUMPSのフロントマン、島キクジロウとして下北沢フラワーズロフトでライヴを行っている。この時のオープニング・アクトにはブルースビンボーズを起用。ステージのラストではブルースビンボーズの中心人物であるPちゃんを迎えたセッションで、サンハウスの「レモンティー」を演奏していた。だがこの日のハイライトと言うべきは、パンク色が濃いTHE JUMPSと並行して、ワールド・ミュージック的なアプローチで活動している島キクジロウ&NO NUKES RIGHTSが21年に発表したミニ・アルバム『RIGHTS IN PANDEMIC』の収録曲「You’re Nowhere」を、あえてTHE JUMPSのステージで演奏した一幕だった。この曲に島は「ウィシュマ・サンダマリさんとすべての囚われの身にある人々に捧げます」というコメントを添えており、今回の和解が人権問題上大きな意義を持つものであることをアピールしていた。今回の和解は前述したように口外禁止条項が条件に入っていないため、耕の死を巡る裁判が、外部の目が届きにくい施設における人権問題に関して、詳細な情報を広く伝えることができる事例となったのである。
 23年4月に入ってから22年3月に名古屋刑務所で亡くなった受刑者の遺族が、国家賠償請求を提訴した事例も、そうした文脈でとらえることができる。ただしこのケースでは、受刑者の生前の様子が映った映像が、提訴に先立ち証拠保全の対象となっていたにもかかわらず、消去されていたことがわかり問題となっている。こうした情勢から考えると、今後はこの種の映像については、刑務所、入管などのような閉ざされた施設で起きた事件の真相を究明するための重要な証拠として位置付け、扱い方を明確に定める法的整備が必要になるのではないだろうか。

 こうして伊藤耕の死を巡る裁判の結果は、今後の人権問題に大きく寄与することとなった。その原点はなんといっても彼自身が80年代に心に刻んだ「権力にやられっぱなしにされるのは嫌なんだ。俺はファッション・パンクじゃないから、そういうことを曖昧にしたくない」「大掛かりなインチキをやられてることに対して、俺の目の黒いうちは絶対許さないって決めたんだ!」という決意にある。そしてそれに加えて耕の死後、夫の想いを伝えようという一心で困難に直面しても決して諦めなかった満寿子の奮闘があったからこそ獲得しえた功績だといえるだろう。


『THE FOOLS MR.ロックンロール・フリーダム』志田歩著
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